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調査rep11「マサチューセッツ州の市民教育」

1.学校における市民教育について

(1)教科書等教材の記載や単位科目があることを前提として、小学校・中学校・高校のいかなる学年や課程にプログラム化されているか。具体的にはどんな内容で履修がなされているのか

 マサチューセッツ州においては、1993年に約1800校にも上がる州内の学校に対し「マサチューセッツ州教育改革法案」が施行され、「マサチューセッツ州共通コア学習」という目標が設定された。この中には「労働と貢献」(working and contributing)といった項目内に「個人的、社会的、市民的責任」について学ぶことが掲げられている。そこには8つの項目があり、1)自身の行動に責任を持つこと、2)職業選択の知識を得て、雇用や経済的自立のために必要な学業や職業上の要件を知ること、3)他者を尊厳を持って接し、人々の共通点や相違点を理解すること、4)意見の相違を解決すること、衝突を減らし、暴力を防ぐことを学ぶこと、5)意義のあるコミュニティや学校の活動に参加すること、6)コミュニティ、州、国家における個人の権利、責任、役割を理解すること、7)民主主義、平等、自由、法と正義における理念が社会の中で如何に発展し、機能するかについて理解すること、8)マサチューセッツ州、米国、そして世界に影響を与えている現在の経済、環境、政治、社会的問題についての詳しい情報について分析し、発展させ、行動を起こすこと、の8つがあげられている。これらのことから、マサチューセッツ州の小中高における市民教育への関心は高く、カリキュラムに組み込まれることが義務付けられている。

 細かなカリキュラムにおいては、各地域の権限に任せているのが現状である。一例としては、ホリストンにおける公立学校(マサチューセッツ州ホリストン地域)が2008年に行った社会科カリキュラムレビューが挙げられる。[1]このカリキュラムレビューでは、21世紀における積極的な市民として活動するための知識やスキルを持たせるために、最小学年から生徒に問題解決や意思決定についての問題に取り組ませるようにすることを目標としている。そのため、カリキュラムにおいては1)個人の自由、責任、人間の尊厳に対する敬意に関する概念の進化、2)国家権力の発展と影響、3)人間社会が地域、国家、または地理的境界線を超えて活動することによる、経済、政治、宗教、文化におけるアイデアの影響、4)国家の歴史と文明に関する地理的な影響、5)自由市場と工業経済の発展と普及、6)科学的論考、テクノロジー、教育の発展、さらにそれらの健康、生活水準、経済発展、政府、宗教信仰、地域社会生活、環境への影響、7)文明の誕生、発展、減退、をトピックとして取り上げている。学年ごとにカリキュラムデザインのモデルも指定されており、例えば、K-5前の生徒に対する教材として、地図や地球儀、一次資料やテキスト、情報雑誌、さらにはデジタルカメラといったテクノロジーを挙げている。コンピュータースキル等が社会に関わる重要なテクノロジーとして積極的にクラスに取り込まれているのも特徴的である。
マサチューセッツ州においては、民主主義国家としてアメリカ全体の市民参加の低下を懸念しており、2011年には「Bill S.183: An Act to design, pilot, and implement civics as a high school graduation requirement」といった条例が可決された。同条例は、「地方、州、連邦政府の構成や機能」「市民運動の歴史」「現在の問題点」「市民活動」等のテーマを中心に2012年5月より高等教育において教育することを義務づけることとなる。

 

(2)学校では、市民は国や地域に対してどんな役割やミッションを持つものであると教えられているか。

 米国において、市民が国や地域に対して積極的に参加するという考えは、「民主主義国家」であるという観点から、当然視されている傾向が強い。しかし、近年の公立学校においては、「学問」という要素を重視する一方で、民主主義の「市民参加」という点におけるカリキュラムが比較的低下しているとの意見がある。[2]ただし、「市民参加」に関する教育を行う際には、単なる歴史や年表を暗記するといった点に終始するのではなく、「自治とは何か」「どのような手法で市民参加ができるのか」といった大きな視点からの設問や、「現在、あなたの地域において最も重要な懸念事項はなにか」といった身近な問題をグループ毎にブレーンストーム形式において議論する、という手法もとられている。[3]つまり、市民活動や市民参加への基礎的な知識は学ぶ必要があるものの、その役割やミッションについては個々やグループが各々に考えていく、という形の教育が行われているところも存在していると思われる。

 また、他にも国や地域のみならず、世界規模の視点からの市民を考慮する学校も存在する。上記のホリストンにおける公立学校ではその一例であり、国や地域を越えて、相互依存が高まる現在の世界において、世界各国の市民との相互交流を高めるスキルや知識を生徒に教育することを目指している。

 

(3)アメリカの市民が積極的に政治参加 市民参加するバックボーンには、学校や家庭の教育上、いかなる理念が存在していると考えられているか。

アメリカの市民が積極的に政治参加・市民参加しているということは一般的に認識されている。米国における学校や家庭における教育の質・量は非常に多様で、一概には言えないが、①社会問題に関する取り組みや運動が、社会全体において可視化できていること(例えば、町においてデモや地方選挙における取り組みが積極的である)、②NGOといった市民団体やカウンセリング・グループといった社会参加へのアウトレットが幅広く存在すること、③個々人の権利に対する主張が一般的に行いやすいこと、等が挙げられるだろう。 ただし、これらは減少傾向にあるという懸念は、特に若者において存在している。例えば、1976年から1999年にかけて調査された米国高校3年生への市民参加への意識調査によると、従来の政治参加率は明らかに減少傾向にあり、さらには国税庁査省によると、18-24歳の選挙の参加率が1976年の59%から1996年には49%に落ちてきている。[4]

 これらは、学校における市民参加についての教育が以前ほど重視されなくなってしまっている可能性を示唆している。米国の政治学者であるロバート・パットナムが述べたように、米国の政治参加への姿勢は歴史的に見て減少傾向にある、という可能性も否定できない。[5]他方で、若者の参加活動がサイバースペースに移行しており、従来の選挙やデモといった手法が初期段階の政治参加の行動として出てくるのではなく、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどのインターネット上のソーシャルメディアが初期段階の手法として採られている可能性も高い。2012年3月に社会的に注目された「Kony2012」(アフリカ、ウガンダの犯罪者の名前を全米、世界的にインターネット(ユーチューブ)を通して有名にさせ、政治家を動かし、2012年中に逮捕するという政治運動)の若者参加率が高いことから、違うレベルにおいては高い政治参加率は継続しているとも言えるだろう。

2.市民の政治行動と手法について

 一般的に政治参加が高まるきっかけは、大きな事件が社会の明るみになった際に発生すると考えられる。これらは日米ともに同じであると考えられるが、政治手法においては、先の項目で述べたように「①社会問題に関する取り組みや運動が、社会全体において可視化できていること(例えば、町においてデモや地方選挙における取り組みが積極的である)、②NGOといった市民団体やカウンセリング・グループといった社会参加へのアウトレットが幅広く存在すること、③個々人の権利に対する主張が一般的に行いやすいこと」等がポイントとして見られるが、近年はこれらのギャップは狭まっている可能性も否定できない。

 日本の事例においては、2011年3月東日本大震災の発生後、原子力発電所からの放射能の拡散状況、食料への影響(例えば牛乳などへの影響)等について、子供を持つ母親がブログやツイッター等を通して懸念を表し、それらが地域・全国的なグループを結成、勉強会や政治家や大臣へのロビー活動を行った例が挙げられる。セシウムが食品に与える影響やその数値を図る福島県の民間非営利組織「TEAM二本松」という団体は、そのような活動から生まれた団体の典型であろう。[6]当然ながら、政治参加の数や質に関してはいまだに差はある可能性は否めないが、日米におけるコミュニケーション手段の多様化により、政治参加の手法の同一化は、進んでいる可能性がある。

 この点で現在注目すべきことは、米国、日本ともに、サイバースペースの利用者が拡大することによって、政治参加の仕方が従来の行動のプロセスとは異なってきている、ということであろう。2011年3月にアラブ諸国で広がった民主化運動、「アラブの春」は、ツイッター等のソーシャルメディアが介在して発生したと言われているが、米国や日本でも今後、サイバースペースでの活動が実際の政治行動に結びついたり、小さな政治活動がインターネットを通して広がりを見せたりする可能性もあるだろう。

3.日本人の国民性について

 日本人の国民性に対する米国人の意識を一般化することは非常に困難であるが、2011年3月11日後にニューヨーク・タイムズでニコラス・クリストフ氏が書いたコラムでは、震災に伴う大規模な暴動が発生しないということから、「我慢」という言葉を取り上げ、日本人の忍耐強さを表現し、復興に向けて粛々と進んでいく点を強調していた。[7]さらにロスアンゼルス・タイムズでは、大震災を目の前にしても日本人のマナーの良さは変わらず、周囲への配慮を怠らないとの点を述べている。[8]しかし、米国人の視点から見て、これらの日本の「我慢」や「忍耐」を重んじる国民性が、政治参加へどのように繋がっていくのか、といった議論は見受けられない。

さらに日本の政治参加に関する議論の中では、市民参加等の行動を起こさずに政治批判をし、政策等のサブスタンスに関する議論を避けて揚げ足をとる、といった日本人や日本のメディアに関する批判的な意見がある一方、それらの行動自体が違った形での社会参加であり、さらには政府に対する細かなチェックが効いている、といった意見もある。

 これらのことから、日本人の国民性に対して、とくにその政治姿勢に対して米国人の持つイメージは一様ではないが、各時代におけるイベント(例えば、第二次世界大戦、急速な経済発展、バブル経済の崩壊と経済減退、東日本大震災等)によるニュースメディア等の社説や意見が米国全体の日本人観に影響を与えているようでもある。

 

 



[1] http://www.holliston.k12.ma.us/curriculum/SSReview.pdf

[2] Bruce Boston, “Restoring the Balance Between Academics and Civic Engagement in Public Schools,” (Washington, D.C.: American Youth Public Forum, 2005). Accessed at  http://www.aypf.org/publications/Restoring%20the%20Balance%20Report.pdf.

[3] David Campbell, “Civic Education: Readying Massachusetts’ Next Generation of Citizens,” Pioneer Institute for Public Policy Research White Paper, No. 17, (September 2001). http://www.pioneerinstitute.org/pdf/wp17.pdf

[4] Ibid. 本調査は、「政治運動」「政治献金」「政治家への申し出」といった行動を起こしたかどうかについて調査したものである。

[5] Putnam, Robert D. (2000). Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community. New York: Simon & Schuster.

[6] 「TEAM二本松」ホームページ:http://team-nihonmatsu.r-cms.biz/

[7] Nicholas Kristof, “Sympathy for Japan, and Admiration,” New York Times, March 11, 2011, at http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/?scp=3&sq=japan&st=cse

[8] Laura King, “Japan’s massive earthquake has little effect on culture’s impeccable manners,” Los Angels Times, March 13, 2011, at http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-japan-quake-polite-20110313,0,4238012.story